小説風にしょうもない一日を書く

(今日ほど内容のない一日も珍しいというくらい何もない一日だったので、むしろそれを書いてみようと思いました。)


朝、目覚めは9時も半分を過ぎたころに訪れた。のそりと毛布を体からはがし、ゆっくりと立ち上がる。11月3日。木曜日。祝日。文化の日だというのに、また何もない一日が始まったという意識がむしろ僕を落ち着かせる。小さい頃は、ずっと夢の世界に浸っていたかったものだか、今となっては当たり障りのない現実こそが何よりの安息だ。暇である今が何よりの幸せだと思う。たとえ、またも掛け布団がベッドからずり落ちて、毛布一枚で寝ていたせいで、風邪気味な自分の体を引きずりながら階段を降りていく今でも。


居間には誰もいない。それは当たり前のことで、休みだというのに、いつも両親は畑仕事に汗を流し、二人の弟は部活動にせいを出している。こんなに意識の混沌とした朝を迎えられるのは、進路も決定した高校三年生だけに与えられる特権であり、この曖昧さが、僕は好きだ。頭の中には何もなくて、素直に自分を感じていられるからだと思うがそれすらもさだかではない。とにかく、今が心地良い。


そんなことがぼんやりと頭が巡る間に、僕は新聞を一通り読み終わった。着信メロディを試聴してみてはやめる。この繰り返しの途中、はたと頭が回り出す。いくら無駄に時間を過ごす権利があるとはいえ、無駄遣いははばかられるものがあるな。時計の針が一周した。味噌汁を火に掛け、温めている間にトイレと身だしなみを済ませる。お椀についだあと青ネギをのせ、一気に掻き込んだ。およそ3分の、ブランチという言葉はあまりに大層な朝食だが、それでも母の味噌汁はやはり偉大で、幸せを満腹に感じることができる。ただ腹が膨れただけのことかもしれない。


またもや脳が停止したがために、いつもにも増して思考が機能せず、風邪気味とはいえあまりに体がだるい。せっかくの休日に発熱とはけしからんと自分を叱り付けたが、皆勤ではなくなるよりましだろうとの返答を受け、それもそうだと体温計を手にとった。小学生のころは学校を休みたい一心で、挟む脇に力を入れたものだが今となっては懐かしい思い出であり、そんなこともあった、そんなこともあったと思いつつ、人は大きくなっていくのだろうか。いや、違うかもしれない。やはり回り切らない脳が、デジタル体温計の音をなんとか耳に聞き取らせた。聞き取れなければ風邪の治療に加え耳鼻科へも行かなければならないところだが、ああ、それならついでに何年来からか悪い鼻も診てもらえばいいじゃないか。いや、診察料が高くついてしまうだろうか。


何を逡巡したか忘れたころに、表示された数字に目を落とす。35.9℃の脱力と安堵が体中に広がり、僕はさらに重くなった体を部屋へと連れていき、また眠るのだった―。


あー疲れた。小説っぽくに書いてみたいなんて思うんじゃなかった。変に筆がのっていたのがうらめしい。しかしまあなんという内容のない文章なんだろう。
このあと3時半まで寝て、昼間の大部分を寝て過ごすというタイムリーエラー。しくしく、これなら熱でもあった方がよかったなぁ。


恥ずかしいけど、なんか消すのはもったいなく感じるので消しません。恥をかいて人は大きくなるのだ。